建築デザインの素 第16回
新国立競技場はデザインされるべきである
「建築デザインの素(もと)」では、建築家の山梨知彦さんに、建築にまつわるいろいろな話を毎月語っていただきます。立体デザインの観点ではプロダクトも建築もシームレス。“超巨大プロダクト”目線で読んでいただくのも面白いかと思います。
[プロフィール]
山梨知彦(やまなし ともひこ)。1984年東京芸術大学建築科卒業。1986年東京大学大学院修了。日建設計に入社。現在、執行役員、設計部門代表。代表作に「ルネ青山ビル」「神保町シアタービル」「乃村工藝社」「木材会館」「ホキ美術館」「ソニーシティ大崎」ほか。 受賞「日本建築大賞(ホキ美術館)」「日本建築学会作品賞(ソニーシティ大崎)」他。 書籍「業界が一変する・BIM建設革命」「プロ建築家になる勉強法」他。
■白紙撤回
新国立競技場のデザインが白紙撤回された。
新聞も週刊誌も、SNSの上でもさまざまな議論や推論が飛び交っているが、白紙撤回後の明確な動きはいまだ見えてこない。騒動の原因が何に端を発するものであるかについても議論百出の状況だ。建築セグメントに限ってみても、そもそも「コンペ案は巨大すぎる」から始まり、審査員建築家が「無責任」であるとか、実施案は「デザインが劣化」しているだとか、無理な「キールアーチ」が建設「コスト」を異常に上昇させているといったような議論が沸き上がり、建築家が互いにボコボコと叩き合っている状況が続いてきた。
そして鳴り物入りで始まった国際デザインコンペが、白紙撤回という事態に至り、次は「必要な機能に絞り込まれた、低コスト」のスタジアム案が改めてコンペで募られるという。そこにはもはや、「機能美」や「簡素な美しさ」を求める姿勢は見えない。
■建築デザインの死
もっともだと思う。一連の騒動の結果、建築のデザインなんて、建築家のエゴで、金食い虫で、無用の長物で、おまけに建築家とは同業者にすら信頼されないインチキ野郎だと一般の人には受け止められていることだろう。大型建築に必要なものは、経済性であり、メンテナンスコストであり、機能を必要十分に満たすことにつきる、デザインを振りかざす建築家など不要だと、世論は宣うている。
建築デザインは死んだのだろうか?
■デザイン不要が標準
大型建築の設計を生活の糧として30年の経験からすれば、設計を開始するにあたってクライアント側からデザインについて何かを求めてくる方がむしろ稀だ。「山梨君、デザインなんか間違っても凝らないでね。機能が満たされていれば、格安でいいんだから!」と依頼されるのが大型建築の設計開始の標準モード(笑)。新国立競技場の一連の騒動は、実は国民の素直な思いを絞り出し、すっきりと見える形にしたに過ぎない。
一部のディレッタントを別にすれば、国民のマジョリティは、騒動があろうとなかろうと安くて機能的なスタジアムを求めているのだ。擦った揉んだの末、新国立競技場は、大型建築の設計開始時の極めて標準的な「デザイン不要」な状態にリセットされた。僕らはいつもこんな状態からデザインをスタートしている(笑)。
■最後に求められるのはデザイン
今一つ、大型建築の設計を生活の糧として30年の経験から言わせてもらいたい。矛盾に満ちた話だが、機能と経済性だけを満たしただけの建築は、なぜだか竣工時にクライアントから祝福されない。設計中は、デザインを捨てろ、経済性だ、機能性だとうるさく言っていたクライアントが、竣工後は手のひらを返したかのようにデザインを求め、「なんだか美しくない」とか「楽しくない」などと指摘する。
経済性と機能を満たしただけでは、生まれる建築は駄作や愚作に過ぎない。誤解を恐れずに言えば、機能や経済性の実現は当たり前のことで(満たせなければクレームとなる)、竣工後に評価されるのは、なんと設計開始時にはクライアントが微塵も求めなかった「デザイン」なのである。
■辛抱強く、したたかに、愛されるデザインを仕込む
だから経験のある建築家は、クライアントが知らぬ間に大型建築にデザインをしたたかに、密やかに仕込む。クライアントの求めに反するようであるが、デザインはクライアント自身も気づいていないクライアントの「隠れた要求」であるから、これなしには竣工時に満足感を与えられない。大型建築に手を染める建築家は、辛抱強く、そしてしたたかに、クライアントのためにデザインを仕込む必要がある。
さらに言えば、ランニングコスト上の最大の無駄は、愛されず使われることがない建築を造ることだと思う。超耐久設計だから、メンテナンスがしやすいからといって建物が存続するわけではないのは、現在も残っている歴史的建造物や、名作建築を見れば明らかである。建築は人々に愛されることで長く存続しえるのだ。ゆえに、愛されることのない駄作をつくることは避けなければならない。皆に愛され、使い続けられ、長く存続施設とするためにも、人々に愛される「デザイン」が必要になる。
誰が新国立競技場の白紙撤回の後を引き継ぐのかは分からないが、現状の世論を真に受け、機能をぎりぎり達成したコストだけ収まったスタジアムを建設してしまったら、竣工と同時に総スカンを食らうかもしれない。コストを収めたことで一時的に賞賛を受けるかもしれないが、愛される施設でなければ、どんなにローコストであっても粗大ごみにしか過ぎない。
願わくは、担当する建築家には、ローコストと良いデザインとは必ずしも排反事象ではなく、優れたデザイナーのもとでは両立し得るものであることも示してほしい。ローコストと多機能の実現で満足せず、清貧な機能美をたたえたスタジアムをデザインしてもらい、建築家とデザインの名誉回復にも努めてほしいと思っている。(重荷の押し売りだな 笑)
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