建築デザインの素 第14回
工事中萌え?
「建築デザインの素(もと)」では、建築家の山梨知彦さんに、建築にまつわるいろいろな話を毎月語っていただきます。立体デザインの観点ではプロダクトも建築もシームレス。“超巨大プロダクト”目線で読んでいただくのも面白いかと思います。
[プロフィール]
山梨知彦(やまなし ともひこ)。1984年東京芸術大学建築科卒業。1986年東京大学大学院修了。日建設計に入社。現在、執行役員、設計部門代表。代表作に「ルネ青山ビル」「神保町シアタービル」「乃村工藝社」「木材会館」「ホキ美術館」「ソニーシティ大崎」ほか。 受賞「日本建築大賞(ホキ美術館)」「日本建築学会作品賞(ソニーシティ大崎)」他。 書籍「業界が一変する・BIM建設革命」「プロ建築家になる勉強法」他。
■工事現場のチカラ
「工場萌え」を持ち出すまでもなく、僕ら人間ってヤツは、思いもよらないモノにときめいたり、美を感じてしまったりしてしまう。機能性だけの視点から作られたはずの工業地帯の工場群やコンビナート、さらにその剥き出しの機能が風にさらされ錆びてエイジングした姿は、中途半端にデザインされた建築物など足元に
も及ばない強烈な存在感を放ち、見るものを圧倒する。
実は、これとよく似た感覚を、自分がデザインを担当した建物の建設現場でよく感じる。躯体工事が概ね完了し、まだ内装工事が始まっていない、躯体が裸形で立ち上がった状態がベスト。誤解を恐れずに言えば、デザインがかなりヤバいプロジェクトでも、工事段階はほぼ間違いなく美しい。いや、工事期間を超える美しさや力強さを完成後も持ち得ているプロジェクトのほうが珍しいとすら僕は思っている。「工場萌え」ならぬ「工事中萌え」といったところであろうか。工事中萌えが高じて、工事現場が持つチカラを学生に伝えたいばかりに、ある大学では工事現場見学を授業としているが、大概の学生にもこのチカラは伝わるようで、人気の授業になっている。
■あらわし
工事中の現場が魅力的な理由はさまざまあろうが、僕自身が思うには、躯体が「あらわし」の状態であることが極めて大きな位置を占めるように思っている。
そもそも日本の古代建築ではあらわしが当たり前であった。神社でも民家でも、初期の原型的なものの多くは、柱も梁もそして小屋組みすらが建物の内外に露出され、あらわしとなっていた。そして柱間に、建具と壁がところどころに、必要最小限に設けられているのみであった。時代が下るにつれ、やがて天井が貼られ小屋組や梁が見えなくなり、さらに近代化の過程で耐火性能を上げるために壁はラスモルによって覆われ、外周部の柱が見えなくなった。鉄骨造が主体となる近代の大型建築では、柱や梁が耐火被覆で覆われたため、室内の独立柱すら張りぼてとなってしまった。外周部にわずかに残されたコンクリート打ち放しの外壁や柱は、近年の環境への配慮とともに断熱材で覆われ、これまた張りぼてとなってしまった。かくのごとく、現代建築は張りぼてで覆われ、あらわしは皆無である。
ところが、現場では純粋なあらわしの状態に遭遇できる。現場につきものの喧騒や、ほこりや、残材をものともせず、あらわしの躯体は凛とした存在感を示してくれる。さらに言えばブルータルな躯体の魅力がさらに引き立つのは、これとは対極伸びを放ちつつ、コンクリートと並んで基本的な材料であるガラスが運び込まれ、対比を見せた瞬間。鋭利な刃物のように磨かれた繊細なガラスの存在が、あらわしとなったブルータルな躯体の存在感を加速するかのようだ。
工事中萌えとしてはこの凛とした姿に魅力を感じるわけだが、建築家の端くれとしては当然、この工事中のあらわしとなった躯体の魅力を取り込んだ建築をつくりたくなってしまうのだ。
■工事中萌え
そんなわけで最近の仕事は、工事中のあらわしの躯体が放つ凛とした魅力を、何とかして竣工後も残せないものかと奮闘している。
最新作は、水辺に建つゲストハウス。まさに躯体工事が完了しつつあり、メインの開口部に大ガラスが立て込まれる直前の状態まで現場は進捗している。この後ガラスが立て込まれることで躯体のブルータルさはさらに際立つだろうか? 完成後もあらわしの躯体のアウラは漂い続けてくれるだろうか? などと、どっぷりと工事中萌えに浸った日々を送っている。
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